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カテゴリ:胃がん( 10 )

• 「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その10

ずいぶんとブログをお休みしてしまいました。
何から再開したものかと悩んでいたのですが、
やっぱりこのご報告から始めようと決めました。

昨年12月1日に胃の全摘手術をうけた母が、
肝臓への転移で6月5日に亡くなりました。
4月に受けた検査ですでに肝臓に影が見えていたのですが
そのころはまだわりあいと元気で、
食は細いものの栄養状態も悪くないと言われ、
この調子ならまだ当分は大丈夫かもと楽観していたのです。

その報告を書こうと思っているうちに、
だんだんと調子が悪くなっていって5月26日に再入院。
そして、わずか10日後に87歳で逝きました。

入院後の10日間については、思い出すと今も辛くなります。
もっと終末期について知識を得ておくべきだった、
死について考え、母と話しておくべきだったと、
とても悔いが残っています。

今もあの10日間を思い出すと泣けてきますが、
でも、元気にしていますのでどうぞご心配なく。
山歩きもせっせと行っています。
母を失って、父の認知症が目に見えて進んできたので
介護もだんだん忙しくなってきました。
介護の合間のちょっとした時間を使ってできることをと
新たな趣味にも挑戦しています。
ブログもまた再開しますので、
どうぞよろしくお願いします。






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by mell1999 | 2017-07-16 10:24 | 胃がん

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その9 退院後1カ月

早いもので母が胃がん手術をして退院してから1ヵ月あまりが過ぎました。
手術から退院までの19日間はあんなに長く感じたのに、この一ヵ月はあっという間。

病院での母は、人の付き添いがないと歩くことができず、
今にも転びそうにヨタヨタだったので、退院後のことはすごく心配でした。
夜中に吐いて、それがのどに詰まったらどうしようとか、
トイレに行こうとして転ぶんじゃないか、
あるいは認知症がひどくなった父が夜中に失禁して、
病み上がりの母一人で後始末をすることになったらどうしようとか、
よからぬ妄想がどんどん湧いてくるんです。
それで、自宅の母のベッドにワイヤレスの呼び出しチャイムを備えつけて、
何かあればすぐに2階の兄夫婦に連絡できるようにしてもらいました。

帰宅初日こそベッドで寝ていた母ですが、不思議なもので、
病院ではほとんど歩けなかったのに、家に戻ると結構動けるんです。
なんたって狭いから手を伸ばせばどこかに支えがあるし、
家にいるとなにかとすることがあるものね。

食事は、朝食くらいは自分でできるというので、昼前に私が行って、
昼食と夕食を手伝うことにしました。
私としては認知症予防のためにも食事作りは自分でやってもらって、
私はあくまで「お手伝い」のつもりだったんですが、私がいると母は全く動かない。
食事はもちろん、おやつも「ヨーグルト食べるわ」と言って、チンと座ったまんま。
しょうがないのでハイハイと出してあげるんですが、これが3,4日続くと、
それまでの病院通いの疲れもあって、だんだんと、モヤモヤイライラしてきました。
くわえて、父が同じようなことばかり繰り返ししゃべり続ける……。
そんな父に文句を言う母を、以前は「病気なんだから仕方ないやん」
とたしなめていたのに、毎日付き合っていると私もうっぷんがたまって、
気づいたら母に加担して父に文句を言ってるやないですか。
こりゃだめだ~と思い、自宅通いを1日休んでリフレッシュし、
その後少しずつ頻度を減らし、今は週2回のペースで実家に行くことで落ち着いています。

母の体調はというと、一番の問題は食べられないことです。
入院中より食事量が減ったんじゃないかと思うくらい食べられない。
胃の全摘後には、嘔吐や下痢、腸閉そくなどの後遺症がおきやすいので、
こわごわ食べているところもあるし、そもそも食欲が全然わかないみたいです。
少し食べるとのどが詰まるといい、お茶さえも詰まるので水分で流し込むこともできず、
吐き出してしまうこともたびたびです。

退院後1週間目に受診した際の先生のお話しでは、
術後少しして食道と腸をつないだ部分がむくんでくることがあって、
のどが詰まるもそのためなので心配ないそうです。
「順調に治ってますよ。せっかく大変な手術をして治ったんだから、
不慮の事故に気をつけて体を大事にしてくださいね」と温かい言葉をかけていただいて、
本当にいい先生に診てもらえたなと思いました。
先生に「順調」と言ってもらって、母も自信をつけたようでした。
そして、退院後2週間ほどするとむくみがひいたのか、
「のどが詰まらなくなって、お茶もおいしく飲めるようになった」と
明るい顔をするようになり、毎日母の体調をうかがっていた私もほっとしました。

とはいえ相変わらず食事量は少なくて、何かの拍子に戻したり、
腹痛をおこしたりすることもたびたびです。
間食用にと少量で高カロリー・高たんぱくがとれる栄養補助食品も買ったけど、
おいしくないと言って食べてもらえませんでした。
考えてみれば、少ししか食べられないからこそ、
おいしいものを食べたいというのが人情ですよね。

父の認知症も母が戻ってからは少しましになったように思えるものの、
母が以前にもまして父に文句タラタラになってしまったのが、これまた心配の種。
でも、毎日父と付き合うのは本当にしんどいと、私も身に染みました。
ともあれ今は、母が「自分は大事にされている」と、
日々感じて生きてもらえたらいいなと思っています。


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by mell1999 | 2017-01-22 11:36 | 胃がん | Comments(2)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その8 退院

13日目。また少しろれつが回りにくくなっていたけど、
しばらく話をしているうちに戻りました。
やっぱり人と話をする刺激が大事なんだろうなと思います。

14日目。ドレーンを抜いた跡からまだ浸出液が出ているので、
先生がやってきて、ここで縫っちゃいましょうと言って、
ベッドの上で二針縫ってくれました。
なんだかえらく簡単です。
これで1週間ほどそのままにしておけば治るそうです。

15日目。栄養士さんがきて、栄養指導をしてくれました。
辛子やコショウなどの刺激物、生モノ、キノコやゴボウなどの繊維質の多い野菜、
油っこいものなどは当分食べられないとのこと。

この時点で先生からはいつでも退院OKと言われ、
はれて18日に退院することができました。
要は管がすべて抜けて、食べられるようになったら退院できるっていうことでしょう。
ネット検索すると、元気な人は8日ばかりで退院できるみたいです。
人間の身体の回復力ってすごい。

母は入院中に足が弱ってしまって見るからに危なっかしい足取りなので、
退院後は洗濯などは兄嫁に手伝ってもらい、
食事は私が実家に通って手伝うことにしました。
退院時に病院からもらったプリントには「退院後の福祉サービスは不要」
という医師の判断が書かれていて、父がお世話になっているケアマネさんにも
母の状態では介護認定はおりないと言われました。
でも、独り暮らしの高齢者だったら、この体調では買い物にもいけず食事もままならないはず。
独り暮らし高齢者予備軍の私としては、またまた将来に不安を感じてしまいました。

母がゆっくりながらも回復する一方、ショートステイでぼーっと過ごした父の認知症は一時的に悪化し
そのことを聞いた母が「退院するのがちっとも楽しみに思えない」とごねるなど色々ありましたが、
ともかく無事に退院することができました。
とりあえず、手術編はこれでひと段落。
また退院後のことなども、折を見て書いていこうと思います。

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by mell1999 | 2016-12-24 23:40 | 胃がん | Comments(2)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その7 HCUから病棟へ

9日目。ようやくHCUから一人部屋の病棟に移ることができました。
HCUは四六時中さまざまな計測器の電子音が鳴り響いているし、
重症の方の苦しそうな声、看護師さん同士の連絡の声が飛びかっていて、
身動きできない体であの中にいると、頭がおかしくなると母は言うのですが
本当にその通りだと思います。
回復しないとHCUから出られないのだけど、
一方で、HCUにいると回復が遅れる。そんなジレンマを感じます。

ともあれ病棟に移ってホッとしたものの、
母は、またまた少し言葉があやしくなっていました。
テレビの音声を聞くためにイヤホンを入れようとするんですが、
なんと、耳たぶに押し付けて入らない入らないって言ってるんです。
後で聞いたところによると、この頃は距離感がつかめなくなっていたそうです。

おやつのワッフルを半分残したので、
「栄養をとるためにクリームだけでも食べた方がいいよ」
と言ってスプーンでクリームをすくってあげると、
スプーンを受け取るかと思いきや、
鳥の雛よろしくパカッと口を開けて待っているし。
こりゃあかんわとガックリきました。

まだ幻覚も見えていました。
「ビニール袋が上がっていく」と言って壁を指差すので、
ついイラッときて「また幻覚見てる」と言ってしまいました。
母が「幻覚を見るようになったら終わりや」とつぶやくのを聞いて。
不安にさせるようなことは言ってはいけないと思っていたのにと
たちまち自己嫌悪です。

さらに困ったのが、膝の痛みです。
右足だけだったのが両足に広がり、少し動かしても痛むと言うのです。
そんな母を見ていると不安でいっぱいになって、
またもや落ち込みながら帰ったのでした。

10日目。一人部屋から四人部屋に移動。
不思議なことに、朝起きたら足の痛みがなくなっていたそうで、
言葉もはっきりして昨日とは別人のよう。
ただ、足のむくみはひどく、腕にまで水がたまってブヨブヨです。

足の痛みはおさまっても、まだ点滴と栄養チューブ、尿道カテーテルが入っているので、
車いすに乗り移るのも一苦労。
なにより足に力が入らず、自力では立ち上がることもできません。

この日は中学の同窓会幹事会が夜にあって、
最初は疲れているのでパスしようと思ったのですが、
気分を変えたくて参加しました。
さすがアラカン。やっぱりみんな親の病気や介護で苦労しているし、
自身も大きな手術を経験したという人もいて、
そんな話を互いにしているうちに、すごく気持ちが楽になっていました。

11日目。またまた不思議なことに、昨日は全然足に力が入らなかったのに
この日はゆっくりとだけど自力で立てるようになっていました。
たった1日でこれほど大きな変化が起きたことに、母自身も驚いていました。
少しずつでも食事がとれるようになったことが大きいのかもしれません。
この日、尿道カテーテルが抜けました。

手術の傷跡もすっかり治っていましたが、
ドレーンを抜いた傷口の一方がふさがらず、
いつまでも浸出液が出てパジャマが濡れてしまうのが困りものでした。

12日目。午前中の血液検査の結果、先生からOKが出て、
ついにすべてのチューブが抜けて心電図計のみに。
トイレにも歩いていけるようになって、
ようやく回復を実感できるようになりました。



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by mell1999 | 2016-12-22 23:01 | 胃がん | Comments(0)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その6 術後せん妄

五日目。両脇腹のドレーンが抜けました。
でも、せん妄は昨日より悪化していてろれつがまわらない。
それでいて、ずっとしゃべり続けるのです。

「駅前で買い物して帰ろう」なんて言うので適当に返事をしていると、
そのうち起き上がって帰ろうとし始めます。
「まだ治ってないからもう少し病院にいてね」と言うと、
さも不満そうに「へいへい」だって。
まるで子供のような返事が返ってきてちょっと笑えました。

術後せん妄は一時的なものとわかっていても
その様子を目の当たりにすると本当に戻るのかとすごく不安になります。
私は友人から「父もなったけど大丈夫だったよ」と聞いていたので
わりと落ち着いていられたと思います。

とはいえ六日目。
せん妄がさらに悪化しているんじゃないかと思うと、
病院に向かう電車の中でだんだん動悸が高まってきて、
私自身もちょっと危ないかもと…。
ただ、仕事が忙しい時期だったので、
家で仕事をしている間だけは母のことを考えずにいることができたのが
今振り返ってもすごくよかったと感じます。

さて、病院に行くと、前日とは打って変わって
普通に近い会話ができるようになっていましたが、
顔は能面のようで、全く表情がないことが気がかりでした。
また、この日は鼻カニューレがとれていました。

いつものように足のマッサージをしていると外科の先生が来られて、
「明朝、せん妄が出なければ重湯が飲めますよ」と説明してくださいました。
逆に、せん妄があるといつまでも口から食べられないし、
食べられないとチューブもはずせないそうで、
高齢者の中には食べることを忘れてしまう人もいるとか。
どうか明日もせん妄が出ませんようにと祈る思いで病院を後にしました。

この日は実家にも寄って、ショートステイから戻った父と夕食を食べました。
施設の職員さんがあれこれ遊びを用意してくれるデイサービスとは違って
ショートステイは食事やお風呂などの生活を支援してくれる場なので、
自分から意欲をもって何かをすることができない父は、
日中何もすることがありません。
なので、父の認知症が一層進むんじゃないかとこれまた心配で。
我ながらつくづく心配性です。

七日目。HCUで退屈している母に本と雑誌を持っていきました。
この日はせん妄が出なかったので、ようやく重湯を飲むことができ
表情もいつもの母に戻っていました。
ただ、右膝が痛くて足を動かせないと言い、点滴のせいか、
足全体がパンパンに腫れていました。
もともと数年前から足の痛みがたびたび出るようになっていて
夕方になるといつも足首がむくんでいたのです。
今回の入院でよけいに足が弱ることを心配していたのですが
ほとんど動いてもいないのに膝が痛くなるとは予想外でした。

八日目。車いすに座って本を読んでいる母に
ずいぶんよくなったんだと胸をなでおろし、
先生にも、明日からはお粥が食べられますよと言っていただいて
久々に明るい気分で病院を出ることができました。
が、翌日はまたもやドドーンと落ち込むことになるのです。



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by mell1999 | 2016-12-21 23:38 | 胃がん | Comments(4)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その5 ICUからHCUへ

二日目。病院にいくと母はICUからHCU(準集中治療室)に移動していました。
車いすに座って移動したと聞いて、あんなにたくさんの管をつけたままで
よく車いすに乗れたものとびっくり。
この時点で、酸素マスクと鼻に挿入したチューブははずされ鼻カニューレになっていました。

この日の母は顔色もずいぶんよくなっていて、
私の顔を見ると笑顔になり普通に会話することができました。
夜もずっとうつらうつらしていたそうで、
苦しくて眠れないってことはなかったそうです。
痛みも咳をすると響く程度で、あとから聞いたところでは
今回の手術で一番痛かったのは両脇腹のドレーンを抜くときだったとか。
手術そのものの痛みに関しては完璧にコントロールされていたようで
それがわかっただけでもすごくほっとしました。

痛みがないせいか母にも余裕があって、
パジャマと腹帯を開いて傷口の処置を見せてくれました。
そこにはガーゼはなく、傷の上に白いネット上のものをのせて、
透明のフィルムでぴったりとおおってあるだけ。
術後5日間ほどはこのままにしておくのだそうで、抜糸も消毒もなし。
夏井睦氏が「傷は絶対消毒するな」で書かれていた湿潤療法そのままです。
術後10日ほどして見せてもらったときには傷はすっかりくっついて
母のお腹のシワに隠れてしまうくらい細い細い一本の線になってました。
痛みのコントロールと傷の治療法だけ見ても医療はすごく進んでいるんだと驚いたし、
だからこそ86歳の高齢でも手術可能と判断されたんだなと感じました。

三日目。私もちょっと疲れていたのと昨日の様子を見て安心したのとで、
病院には行かなかったのだけど、心配していた不整脈が出たそうです。

四日目。母は私の顔を見るなり、朝方錯乱状態になって
看護師さん3人がとんできて、迷惑をかけたと話してくれました。
そして、ペラペラとあり得ない話をしゃべり続けるのです。

曰く、若い子が来てみんなで酒盛りするので迷惑だ。
子供がいたので栗のチョコをあげた。
モモコ(ハイヒールの)が看護師のアルバイトに来ていて
栗のチョコを三つも食べた。
(よっぽど栗のチョコに未練があったみたい)
あ、ほら女の人が入ってきた。
「え?どこに?」と聞くと、「そこにいるのに何で見えないの」と怒り出す。
指先に装着された脈拍計をぐねぐねといじって、あげくはずそうとする。

ICUに入った高齢者にはよく起きるという術後せん妄の始まりでした。
少しでも刺激を与えた方がよかろうと思い、
私が半ば自己流でやっている足つぼマッサージをしてあげるとすごく喜んでくれて、
この日から毎日やってあげることにしました。


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by mell1999 | 2016-12-21 00:08 | 胃がん | Comments(0)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その4 手術

母は11月25日に一時退院して、30日に再入院。
翌12月1日に手術を受けることになりました。
術前検査としては、腸の内視鏡検査と胃のX線検査を受けたそうです。

再入院の日は兄嫁が付き添ってくれることになったので、
入院前日に母の様子を見に実家に行きました。
手土産は母の好きな、栗のペーストが入ったチョコレート菓子。
手術の前に食べさせてあげようと思ったのだけど
やはり胃が気になるようで、「退院後の楽しみにしておく」と言って、
そのまま冷蔵庫にしまってしまいました。

母は入院の準備が忙しいとぼやきながら思ったより平静でした。
一方の私は、母の吐血以来ずっと胃の中に石が詰まっているような感じで、
食欲はないし夜は眠れないし最悪の精神状態。
それでも、91歳で胃を全摘して98歳の今も元気という人をネットで見つけ、
ちょっと気持ちが楽に。
母とも、そんな話や退院後の食事のことなど、
できるだけ前向きな話をしながら夜まで一緒に過ごしました。

手術当日は、兄夫婦は仕事があるので、私が付き添うことに。
といっても、手術の間、家族室という部屋で待機しているだけですけどね。
たぶん、不測の事態が起きた時に判断を求められるのでしょう。
家族室から離れる時は連絡するように言われました。

手術は9時半に始まって、13時半に終了。
途中、家族室に電話が入り、「これから縫合します」と知らせてくれました。
手術時間としては4時間だけど、開腹から縫合が終わるまでは実質2時間程度。
高齢のうえ狭心症の持病と貧血があったので、
前後の処置に時間がかかったのだとか。

手術が終わると間もなく執刀医が私を呼びに来て、
面談室で摘出した胃を見せながら説明してくれました。
初めて見る胃はきれいなピンク色で、
胃薬のパッケージなんかに描かれている胃の形そのもの。
胃の上部にはゴルフボールのような黒ずんだ塊がありました。
見るからに悪性腫瘍って感じです。
そりゃこんなのが胃の入り口にあったら、
じきに食道狭窄になるわなあと納得。
胃の下には黄色い脂肪がぶら下がっていて、
リンパ節や血管も一緒に摘出したそうです。

さらに20分くらいすると看護師さんがきて、
ICU(集中治療室)の母の元に案内してくれました。
私が行った時、母は看護師さんに痰をとってもらっているところでした。

鼻にはチューブが入り、その上から酸素マスク。
首の静脈には栄養を入れるための点滴。
胸に心電計、腕に血圧計、指先に脈拍計。
手の甲には点滴。
お腹の両脇には浸出液を排出するためのチューブが2本。
そして尿道カテーテル。
全身管だらけって感じで、見ているだけで息苦しくなります。

「痛みは?」と聞くと「重いような痛みがある」と。
看護師さんに、すぐに痛み止めが効いてくるはずといわれ、
ちょっとほっとしました。
しばらくすると吐き気をもよおしたものの
点滴に吐き気どめを入れてもらうとじきにおさまりました。

ICUの面会時間は30分に制限されているので、
母と少しだけ話をして家に戻りました。
私があれこれ考えたところでしょうがないとわかっていても、
今頃母はどんなに苦しい思いをしているだろう、
夜も眠れないんじゃないかとそんなことばかりが頭に浮かんで、
なんとも胸苦しく、またまた眠れぬ夜をすごしたのでした。


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by mell1999 | 2016-12-19 23:14 | 胃がん | Comments(2)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その3 手術を決断

入院の翌日に母を見舞ったときには、顔色も悪く
(吐血以前から出血していたようで、かなりの貧血だったそう)
トイレも自分でいけなかったのだけど、幸い入院から数日すると元気を回復し、
ゆっくりとなら歩けるようになりました。

そして、その後のCT検査などで、胃がんは今のところ転移しておらず、
手術が可能ということが判明。
先生から手術をするかどうか決めてくださいと言われたものの、
兄も私も手術するなんてあり得ないと最初は考えていました。

だってよく言うじゃないですか。
高齢者が手術したら気力体力が弱って歩けなくなる。
寝たきりになり認知症になる、って。
兄も美容師という仕事柄そういう話をよく聞いていて、
中には手術前の検査で弱ってしまった人もいたとか。
今はまだ家事もできるしご飯も食べられる母が、
胃がんの手術をしたがために寝たきりになってしまったとしたら、
たとえ胃がんが治ったとしても本末転倒だと、そう思っていたのです。

いずれにしても詳しい説明を聞かないと決められないので、
母も同席のうえで消化器内科の先生に説明してもらいました。
この時、私は手術しない場合の余命を聞きたかったので、
母は同席しない方がいいと思ったんですが、
兄が母にも覚悟してもらわないかん、と言い、
母も同席したいと言うので、3人で話を聞くことになったのです。

先生のお話しでは、手術した場合、胃を全摘すれば完治するということでした。
そして術後数日で起き上がれると。
この言葉を聞いて、ちょっと手術に気持ちが傾きました。
数日で起き上がれるのなら、それほど衰えないかもしれないと
希望が湧いたのです。
入院期間は高齢なので一ヶ月くらいかかるだろうとのことでしたが、
(その後、術前に外科医からも説明があって、入院予定は二週間と、ぐっと縮まりました)

一方手術しないで放置した場合、5年生存率が60%で、
母の場合、余命は1年くらいだろうと。
なかなか微妙な数字です。
あと1年は元気に生きられるのなら、それがひょっとすると2年になることもあるのかも、
と思ったのですが、続く先生の言葉に愕然としました。

「おそらく数週間もすれば食道が狭窄して食べられなくなる」と言うのです。
そうなると、病院のベッドの上で点滴で栄養をとりながら、
緩慢に衰えていくしかないということです。
日ごろから延命処置はお断りと明言している母にとっては、
一番避けたい結末です。
かといって、そうなった時に、点滴などの延命を拒否する決断は、
私達にはできないと思うのです。

とにかく一度3人で話し合ってからお返事しようと、兄に提案しました。
というのも、この数年、父の介護にすっかり嫌気がさした母は
「いったいいつまで生きなきゃいけないのだろう」とたびたび口にしていたし、
その前日も、「おじいちゃんはこんなふうに亡くなった」
「○○のおばさんの最期はこうだった」としきりに亡くなった人の話をしては
「私は死ぬのは怖くない」と繰り返していたので
ひょっとしたら手術も延命処置も拒否するのかもと思ったのです。

ところが母は、「私の腹は決まってる。手術してもらう」ときっぱり。
その一言で、母の手術が決まったのでした。


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by mell1999 | 2016-12-17 20:05 | 胃がん | Comments(0)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その2 突然の吐血

母はこの数年、すっかり食が細くなっていて、
特に今年に入ってからは夕方になるとのどが詰まると言って、
ますます小食になっていました。

年をとったから仕方ないのかなと思いつつ、実家に行くたびに
「食べないと悪循環でますます食が細る」と口うるさく言ってみたり、
「メイバランス」という高たんぱく飲料を送って
毎日飲んでもらったりしていました。

ただ、数年前にピロリ菌の除去をしていたこと、
痛みなどの自覚症状がなかったことから、
胃がんを疑うことは全くなかったんです。

吐血したのはちょうど私が実家に行った11月14日の夜のこと。
いつもと変わった様子はなく、
9月の肺炎以来ずっと続いていた微熱もおさまってきて、
むしろ元気そうに見えたくらい。
なので、兄からの電話でその夜に吐血したと聞いて、
信じられない思いでした。
翌15日、かかりつけ医から紹介されたI病院で胃カメラを飲み、
そこでは対応できないからと、さらに大きな病院に入院。

胃カメラの検査で、胃の入り口あたりに5センチ大の腫瘍があって
そこから出血していることがわかりました。
入院の翌日、病院に母を見舞うと体を起こすこともできない状態でした。
この日もまた、胃カメラで出血が止まっているかどうか確認したそうです。
吐血してから3回目の胃カメラ。
弱り切った高齢者に何回胃カメラ飲ませるんやとちょっと憤慨したのですが、
入院したA病院の胃カメラはもちろん必要な処置なわけで、
母に言わせるとそれほどしんどくもなかったそうです。

母も心配だけど、同じくらい心配なのが父でした。
両親は二世帯住宅で兄家族と住んでいますが、
普段の生活は全く別で、認知症の父の介護も
基本、母がやっていたんです。
なので、母がいなくなると、父をどうするかという問題が
たちまち浮上してくるというわけです。
兄夫婦は二人で美容室をやっているので、
両親の介護に手をとられるとお店がたちゆかなくなります。

幸い、ケアマネさんがすぐに駆け付けてくれて、
週に4回通っていたデイサービスにショートステイを組み合わせることで
兄夫婦への影響は最小限に抑えることができたのでした。

とはいえ、それはこちら側の都合で、
父にはかなり無理をさせてしまったことも事実です。
母を見舞ったあとで実家に寄って、
デイから帰ってきた父と夕食を食べたのですが、
いつも同じことを繰り返ししゃべる父が
口数も少なく、本当にしょんぼりしてしまって。

デイでも、ずっと母のことを心配していたそうです。
母がいるといつも、ごはんの食べ方が汚いとか、
同じことばかり言うとか叱られてばかりなのに、
それでもやっぱり、いないと寂しいんですね。


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by mell1999 | 2016-12-16 09:00 | 胃がん | Comments(0)

「86歳の母が胃の全摘手術をうけました」の記 ●その1

ブログ更新を長々とお休みしてしまいました。
実は11月半ばに母が吐血して入院し、
検査の結果、進行性の胃ガン(ステージⅡ)が見つかったのです。

結果から言えば、12月1日に胃の全摘手術を受け、
本日15日、先生からいつ退院してもよいとのお墨付きをいただいたところです。
1週間前は、ひょっとしたらこのまま認知症になって
歩くこともできなくなるのかもしれないと絶望的な気分だったんですけどね。

家に戻って以前のような生活ができるまでにはまだ時間がかかると思うけど、
ひと山越えて私もようやく少し、気が楽になりました。

同じような立場の方のご参考になるかもしれないと思い、
胃ガンの判明から退院に至るまでのあれこれを記録しておこうと思います。

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by mell1999 | 2016-12-15 19:31 | 胃がん | Comments(2)